第9惑星ビニル

見た映画の感想を書き綴ります。

映画感想『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』ニュート・スキャマンダーが主人公である理由

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原題:Fantastic Beasts: The Crimes of Grindelwald
製作年:2018年
製作国:アメリ
監督:デビッド・イェーツ
出演:エディ・レッドメインキャサリン・ウォーターストン、ダン・フォグラー、アリソン・スドル、ジュード・ロウジョニー・デップ

あらすじ:悪い魔法使いグリンデルバルドが脱走したので追いかけます。

ハリー・ポッター』シリーズのスピンオフ、そして前日譚にあたる映画『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(2016年)の続編。前作は魔法動物学者:ニュート・スキャマンダー(エディ・レッドメイン)が自分のスーツケースから逃げ出した魔法動物を探しているうちに魔法界を揺るがす大事件に巻き込まれていく…というお話でした。優秀な学者ですが魔法動物の話になると急に饒舌になったり常軌を逸した行動を取ったりするニュートの「魔法使いムツゴロウさん」っぷりが印象に残る楽しい映画です。これは誇張でもなんでもなく本当に「よーしよしよし」とムツ・スピリットあふれるセリフも登場します。動物愛を極めると皆ああいう感じのキャラクターに集約されていくのでしょうか。

冒険に巻き込まれてニュートの友人となる心優しい男ジェイコブ(ダン・フォグラー)と人の心を読むことが出来るクイニー(アリソン・スドル)の二人が個人的に大好きです。前作のラストで二人が別れるシーンではビンビンに泣いてしまいました。そういう意味で続編でジェイコブが再登場すると聞いた時は「あんなにきれいに終わったのになんでやねん!」という憤りと「またジェイコブに会える!」という喜びで心が引き裂かれそうになりました。

ちなみに自分のハリポタ習熟度を説明すると原作未読、映画は『賢者の石』と『秘密の部屋』をテレビで見た程度のハリポタ弱者です。そしてファンタビは大好きというポジションです。そんな状態で見たのですが…結論から言うと「しんどい」。いやーとにかくしんどい。あと「登場人物みんなかわいそう」。特に僕のような前作ファンにとってはつらい部分もありましたが、それと同時にかすかな希望を感じる部分もありました。他には「魔法動物は相変わらずかわいい」。そして「前作とは比べ物にならないくらいハリポタ知識過積載」という感じでした。

とにかく1作目の「おいで~ハリポタに詳しくなくても大丈夫だよ~」みたいなノリから2作目の「ハリポタ読んだやろ?ほないくで」という急転直下っぷりがすごい。洪水のように注入されるハリー・ポッター専門知識と怒涛のように襲い掛かる情報量に翻弄されているうちに映画が終わってしまいました。これが「この冬、日本中が魔法にかかる」(日本版キャッチコピー)ってやつなんですか。

前作で魔法省に捕らわれたグリンデルバルド(ジョニー・デップ)は護送中にあっさりと脱走。一方ニュートは恩師であるダンブルドア先生(ジュード・ロウ)に説得されパリに潜伏しているクリーデンス(エズラ・ミラー)を追うことになります。強大な魔力を持つクリーデンスと恐ろしい野望を抱くグリンデルバルドが手を組んだら大変なことになる…ということで魔法使いたちが奔走するというお話です。こう聞くとシンプルなお話に聞こえるかもしれませんが、前作からドドッと登場人物が増えた上に人間関係が複雑で真相が二転三転するため本当に疲れます。(それこそがハリポタ世界の魅力なのかもしれませんが)

登場人物は皆とても魅力的です。ニュートの兄テセウス(カラム・ターナー)は生真面目で弟を溺愛する感じが最高です。余談ですがエディ・レッドメインよりカラム・ターナーの方が実際は8歳年下と聞いたときは驚いてしまいました。カラムがオーディションの際にとっさにエディのおでこにキスをしたら採用されたというエピソードも最高です。そのキャラクターはテセウスに見事に反映されていると思います。

 

クリーデンスと逃避行するナギニ(クローディア・キム)も怪しくも切ない雰囲気が素敵です。僕だけかもしれませんがナギニさんは憂いを含んだ相田翔子っぽい、と感じました。淋しい熱帯蛇。終盤でナギニがクリーデンスにかける言葉はこの映画の重要なテーマの一つだと思います。恐らくあの言葉が今後の続編においても大きな意味を持ってくると思います。


グリンデルバルドもいつものジョニー・デップ節を抑えながらも圧倒的な魔力ではなく魅力で人々を誘惑する人物を丁寧に演じていると思います。人々の前に神出鬼没に現れては巧みな話術でそれとなく誘導するという手法が悪魔のようで単純な殺人鬼より恐ろしいと感じました。

そしてクイニー。冒頭のジェイコブとのラブラブシーンを見ると天真爛漫な明るい女性に見えるかもしれません。しかし他人の心を読めるという彼女の特技を知っていると、あの明るい性格は汚れた現実から自分の繊細な心を守るための防護策なんじゃないかと感じます。劇中で彼女が「見知らぬ街で迷子になってわんわん泣く」というシーンがあります。大人がそんなことをしたら普通驚いてしまいますが、彼女が胸に秘めている繊細さとその危うさを示す象徴的なシーンだと思いました。あまり詳しくは言えませんがそんな危うい彼女の存在が今後重要なキーになるのでは…と予想しています。(クイニーファンとしての願望込みですが)

 

そんな中いつも通り珍しい魔法動物を見つけてわあーっと感動するニュートには救われます。魔法動物のためならびしょ濡れになるし地面も平気で舐めるニュートさん。好意を寄せるティナ(キャサリン・ウォーターストン)についても瞳の特徴や歩幅の癖といったような「生態」で把握しているのがニュートらしくて最高です。もしかしてクリーデンスのことも珍しい魔法動物だと思って追いかけているだけなのでは…という疑惑が高まってきます。

しかしこれこそがファンタビシリーズの魅力なのではないかと思います。物語終盤の純血主義者の決起集会以降、魔法界を取り巻く状況はさらに悪くなるでしょう。今回の舞台である1927年のヨーロッパもこの後世界恐慌を経てナチス・ドイツが台頭する暗い歴史が待ち構えています。そんな暗い暗い世界の中でも自身の立場を崩さず、どちらの側にも肩入れせず、魔法動物のことを第一に、常に飄々と生きるニュートに希望を感じるのです。

一方でグリンデルバルドに加担するのは現状に不安や不満を抱えているため「私のところに来れば解決できる」という言葉に誘惑されてしまった人たちです。その人たちがいいとか悪いとかではなく、美辞麗句で人の不安に付け込み、いいように利用する支配者というのはいつの時代もいる、ということだと思います。この「正義」と「悪」の構造と対比が本作を『ハリー・ポッター』シリーズとはまた別の、違う味わいの作品にしているのだと思います。

全5部作に及ぶというファンタビシリーズ、最終的な着地点はグリンデルバルドとダンブルドアの対決になると思うのですが、その対決に至る背景にニュートやジェイコブのようなキャラクターたちの活躍があればいいな、と思っています。闇祓いのように攻撃的ではないただの動物学者のニュートや、かわいらしい魔法動物たちや、ただの人間でしかないジェイコブのような「選ばれし者ではない者」たちだからこそ出来ることがあると思うのです。実際にニュートは本作の中で本当にささやかですが今後の勝機に繋がる確かな偉業を達成します。それは彼が英雄だからではなく、偏執的なまでの動物学者だったから出来たことです。

これは最近のスター・ウォーズ(『フォースの覚醒』『最後のジェダイ』)や『ブレードランナー2049』にも見られる映画界の潮流の一つのような気がします。今挙げた作品のようにChosen One(選ばれし者)ではない者たちが平和のために、もしくは救いたい誰かのためにがんばる話を僕は熱望します。

本作を見て僕は、昨今の世界を取り巻く排外主義や根強い人種差別に対抗するには一人一人の小さな力が必要だというメッセージを感じました。原作・脚本のJ・K・ローリングブレグジット(英国のEU離脱)やアメリカのトランプ政権に批判的なスタンスを取っています。2020年に公開される続編では希望をより一歩進めてほしいと願います。あとすいません、これは個人的な要望なのですがみんなを幸せにしてあげてください、J・K・ローリングさん。ほんとお願いしますよ…

そしてこれを機にいい加減ハリポタを習得しようと思いました。とりあえず映画全8作品、がんばります。


・『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

デビッド・イェーツ監督、J・K・ローリング脚本のファンタビシリーズ第1作。「逃げた魔法動物たちを捕まえる」というお話ですので2作目よりも動物の登場シーンが豊富で楽しい作品です。あと物凄い色気のグレイブス長官(コリン・ファレル)が印象的です。

 

エズラ・ミラーによる考察

クリーデンス役のエズラ・ミラーによるファンタビ2の考察。クリーデンスが置かれている状況を現代の社会問題と照らし合わせながら冷静に分析しています。記事後半に出てくる彼のハリポタガチオタクっぷりを象徴するエピソードも最高です。